天秤 わたしたちの空




天秤 わたしたちの空

野樹かずみ&河津聖恵著

洪水企画発行 草場書房発売
A5変形判 並製本 96頁
定価(本体1500円+税)
ISBN978-4-902616-20-0  C0092
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野樹かずみ 

1963年愛媛県宇和島市に生まれる。広島大学文学部卒業。在学中、在日韓国人被爆者の被爆体験の聞き書きに携わる。1991年、第34回短歌研究新人賞受賞。この年から東京に住む。1994年、フィリピンのゴミ山を訪れる。翌年からゴミ山の麓にあるフリースクールの運営を支える活動をはじめる。2001年から広島在住。2009年「未来」年間賞受賞。歌集『路程記』。河津聖恵との共著に『christmasmountain わたしたちの路地』(澪標、2009年)、『天秤 わたしたちの空』(洪水企画、2009年)がある。


河津聖恵

1961年東京都に生まれる。京都大学文学部卒業。1985年第23回現代詩手帖賞受賞。詩集に『夏の終わり』(第9回歴程新鋭賞)、『アリア、この夜の裸体のために』(第53回H氏賞)、『青の太陽』、『神は外せないイヤホンを』、『新鹿』など。野樹かずみとの共著『christmasmountain わたしたちの路地』(澪標、2009年1月)。詩論集に『ルリアンス──他者と共にある詩』。京都市在住



前著『christmasmountain―わたしたちの路地』につづくコラボレーション第二弾です。過激でホット、読者に息つく暇を与えず、ひたすら圧倒的です。今回はフランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユ(1909〜1943)の「不幸と恩寵の哲学」を基点にして、その思想と対話しつつ、狂気に満ちた近現代の悪と愚劣と悲哀と罪業を告発しはげしく祈祷します。



『天秤 わたしたちの空』あとがき   野樹かずみ

傍らにいてくれたヴェイユ

 「不幸」という文字が目に飛び込んできた。通っていた大学の隣にあった古本屋の埃くさい片隅で、私はシモーヌ・ヴェイユと出会った。『シモーヌ・ヴェイユの不幸論』という入門書だったが「不幸」という言葉とともにヴェイユの名前はくっきりと心に刻まれた。 次の出会いは大学卒業後、もぐりで聴講した仏文の集中講義で、ヴェイユの『「イーリアス」力の詩篇』を読んだときだ。人間が「力」によってどのように魂を変形させられるか、その透徹した現実認識に戦慄した。「暴力はおのれの手の触れる人々を押し潰す。ついにはそれを忍ぶ者同様それを扱うものにとっても自分の外部に現われるに至る」「勝者も敗者も同一の悲惨のなかで兄弟だ」という言葉は、いまもなんと鮮烈に響くことだろう。 世の中は未知であり混乱であり、私はその頃どうやって生きればいいか途方にくれていたが、ヴェイユは混沌の世界に降りてきた蜘蛛の糸、世界を理解する手がかりだった。三か月の失業手当で八か月暮らした日々がとても幸せだったのは、全五巻の『シモーヌ・ヴェーユ著作集』を読みふけっていたから。歴史観、文学観、ヴェイユから学んだことは数知れないが、何よりも彼女の言葉は、魂を内側から温め励ましてくれた。彼女が女工たちのために翻案した「アンティゴネー」「エレクトラー」に私もまた慰められたのだ。 ヴェイユは「不幸」とのつきあい方を(不幸を怖れなくていいということを)教えてくれた。──不幸をあるがままに、ただ存在するという理由において、人類の普遍的な悲惨の現れとして愛すること、この超越的な愛こそが信仰である。十字架は「天秤」(=正義)の形象でもあるが、それは悲惨な者の方に魂を傾けることによって正義なのだ──のちに『カイエ』を読んだときの印象だが、これは私のヴェイユ理解の基本である。「純粋な同苦・共苦によって、いよいよ純粋なよろこびを享受できる」「他人の不幸を、自分もそれに苦しみながら受け入れること」(『カイエ』)ヴェイユの思想の中心にあるのは宗教的な情熱だ。その宗教哲学において重要なのが「脱創造」の観念──この宇宙は「善」であり、実在する「善」をあらわすためにそれを妨げている自我を脱ぎ捨てる──だが、これは仏教の「無作」という言葉とも響きあうのではないか。ヴェイユが「権威の宗教」を否定し「経験の宗教」を求めたことを考えるなかで、十字架はおのずから十字路のイメージに変容した。広く深い普遍性の場としての宗教的なるもの。ヴェイユには、純粋ゆえに孤独な哲学者というイメージがあるが、その魂は他者とともに深い歓びのなかを歩いていただろう。 ヴェイユ生誕百年のこの春、ヴェイユを傍らに河津さんと再びのコラボを試みた。昔、古本屋の片隅で見つけた「不幸」が、こんなに素敵な体験に結びついたことが、とても不思議でとてもうれしい。ここまで私を運んでくれたひとつひとつの出会いに感謝します。



『天秤 わたしたちの空』あとがき   河津聖恵

不思議な出産

哲学者シモーヌ・ヴェイユは、詩人でもあった。これまでに発見されているものとして、九篇の詩(『シモーヌ・ヴェイユ詩集』(小海永二訳・青土社)で読むことができる)がある。多くの詩人とも交流があった。箴言のアンソロジーである『重力と恩寵』を読むと、つよく美しい飛躍の文体に、詩的筋力をたしかに感じる。 この春、野樹さんと二度目のコラボをしながら、かつて読みさした同書をふたたび繙いた。不思議なことにかつては難解に思え、宗教的な匂いに抵抗感さえ感じた文章に、今度はぐいぐいとまさに詩のように引き寄せられた。それは、ヴェイユの意図するところを少しは感じ取れるほど、私なりに「不幸」の体験をいくつか経てきたためかもしれないし、ヴェイユの「不幸」や「重力」といった独特のキーワードが、決して過去のものとは映らない、今の社会の状況もあるからだろう。 ヴェイユは、現在世界と日本の社会を根幹から締めつける「不幸」のまさに原型を、すでに戦間期に体験し感受していた。例えば、当時の「非正規雇用」の実態を描く『工場日記』、組合運動や人民戦線でマルクス主義や政治の限界を痛感し、みずからの魂の問題に立ち戻り思索した『重力と恩寵』や『神を待ち望む』、ドイツ支配下で精神的堕落を呈した祖国フランスに対し、未来のための提言をした『根をもつこと』などは、ベルリンの壁が崩壊しグローバリズムが席巻する今日の世界に読むと、頷くところが余りにも多い(二十一世紀の今そうであることに暗澹とした気持にもなる)。しかしヴェイユは社会批評家ではない。その思想は、ひとりのすぐれた女性の知性と、他者の不幸に鋭敏に反応する感受性との、言葉の詩的力による奇跡的なアマルガムである。 この希有な哲学者は、か弱き他者のために、か弱き自身をあげて書いた。言語の総体で他者に同苦した。希望を持つことが困難な時代に、たったひとり絶望を言語の次元で深く見つめた。そして他者のためにひそかな希望を発火させた。そうした「利他性」は、いつの時代も「詩人」の定義の核にあるはずだ。私がヴェイユに惹かれ、詩を無限に触発される理由はそこにある。 野樹さんの中にあるヴェイユへの熱い思いが、私をつきうごかした。立ち現れる様々な時空とイメージにも励まされ、言葉たちは、ほんとうの詩へと向かう勇気をもらった。前回のコラボ『christmasmountain─わたしたちの路地』でも感じたが、自分の言葉をたしかに受け止めてくれ、信じてくれる他者がいるというのは、何よりも心強いことである。また一つコラボという貴重な体験の中で、言葉と言葉が励まし合いながら、共同の時を濃密に紡いだことを、私はいつまでも忘れないだろう。不思議な出産のように。 ヴェイユ生誕百年。その詩的箴言は、いまだプロメテウスの火のごとく輝きつづける。私たちの言葉は、そのいとおしい火によって照らされ護られ、やがて焼かれた。読んでくれる方々の魂の中で、ゆたかな無としての「うた」となり蘇生することを祈りたい。





                                                      

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