音楽、未知への旅 「ミュージック・フロム・ジャパン音楽祭」クロニクル





音楽、未知への旅 「ミュージック・フロ
ム・ジャパン音楽祭」クロニクル


福中琴子著

洪水企画発行 草場書房発売
四六判 並製本 280頁
定価(本体2000円+税)
ISBN978-4-902616-41-5 C0073
                                            送料無料


福中琴子(ふくなか・ことこ)

アメリカ、ニューヨーク市生まれ。
1999年、ニューヨーク大学スタインハート校終始課程修了(芸術修士)。
帰国後、クラシック音楽専門チャンネル、クラシカ・ジャパンに勤務。
現在は、フリーランスで新聞、雑誌に寄稿。
本書は初の著作である。



動くことにより生まれるものがある!

日本の現代音楽作曲家による数多の作品をニューヨークに招き世界へ向けて紹介してきた
「ミュージック・フロム・ジャパン音楽祭」35年の歴史を軸に、音楽創造の秘密に迫る渾身の音楽評論集。

ミュージック・フロム・ジャパン音楽祭はコントラバス奏者・三浦尚之を主催者として毎年日本の現代音楽の第一線の作曲者の作品をニューヨークに招いて演奏、紹介する、重要なフェスティバルであり、ここに60年代以降の音楽創造の歴史の核があると言って過言ではない。

この本で論じられている作曲家たち
黛敏郎、三善晃、松村禎三、一柳慧、池辺晋一郎、石井眞木、林光、西村朗、野平一郎、湯浅譲二ほか



『音楽、未知への旅』序より

 私は、以前、私の友人で、アメリカを拠点にするピアニストの平田真希子と、「日本人の私たちが西洋音楽をすること」について、そして、「日本人としての自意識」といったテーマに関して議論を伴にしたことがある。「どのような時に「日本人としての自意識」を感じるか」といった、「そうした自意識云々を乗り越えたところに、私たちの起点はあるのではないか」という思いを含んだ私の問いに対して、彼女はこのような話をした。それは、以前、彼女がオーケストラと協奏曲を弾いた際のことで、終演後、彼女の演奏に感動したアメリカ人の初老の男性がやってきて、このように言った。「あなたは、プティなのに、この作品〔曲はゴダールのピアノ協奏曲第一番だった〕を、こんなにも素晴らしく弾きこなすなんて!」。彼女は百七十センチ近い身長がある。西洋人と肩を並べるほどの彼女に「プティ」という言葉はむろんそぐわない。しかし、この場合、「プティ」は、私の友人を形容する言葉ではなく、日本人女性を表象する普遍的な言葉として用いられた。西洋音楽を演奏する日本人ピアニストにこのような感想をもつ人がいるという現実を、彼女は私に語って聞かせたのである。
 そして、フランスを中心にヨーロッパで活躍する作曲家の望月京は、このような話をした。それは、二〇〇三年にニューヨークで行われた「ミュージック・フロム・ジャパン音楽祭」の演奏会終了後に行われたフォーラムに於いてであるが、その中で望月は、彼女の作品を聴いたヨーロッパの作曲家の何人かは、「あなたの作品はヨーロッパのスタイルで書かれているが、日本的な要素は見出せない。何故、雅楽など、日本的な要素をあなたの音楽に取り入れないのか」との感想を述べると語ったのである。
 私は、この二つの話を想い出す時、人は「自分がどこに所属するか」といった事に関して、日頃無意識の内に生きているということを考えるのである。日本で、クラシック音楽を演奏する、クラシック音楽を聴くといった時、「私が日本人であること」など特別に意識しないだろう。なぜなら、「私」は、その「私」と本来非対称の関係にあるクラシック音楽と、日常的に身近につき合っているからである。近頃は、学校の音楽教育の場で邦楽を学ぶことの必要性が言われて、実際に授業の中で邦楽器を弾くことを行っている学校もめずらしくはないのだろうが、しかし、基本的に日本の学校で行われる音楽教育は、五線譜を読み、西洋音楽の機能和声に基づいた曲を歌ったり、それを楽器で演奏したりすることである。「西洋音楽は意識しないで聴く音楽」(一方、「邦楽は意識して聴く音楽」である)という日本人一般の認識は、すなわち、本来非対称の関係にあるはずの西洋音楽と、そうとは意識せずにつき合っているということを意味しているのである。
 作曲家の黛敏郎は、一九五一年にフランス政府給費留学生としてパリ国立音楽院に留学したが、そこでの体験を通して得た日本人作曲家としての自覚を、「ヨーロッパ音楽への訣別」と題した文章(『中央公論』中央公論社、一九五八年六月号)で次のように述べている。黛は、東洋人である自分が、フォーレやマスネなど西洋近代の音感覚を学び取り入れることはどうしても不可能であることに気がついて、むしろ、その西洋近代の音感覚を拒絶したところに、「自己の音感覚」の探求がはじまると自覚した。黛にとって、「自己の音感覚」とは、彼が「ヨーロッパとの絶縁以来」求めてきた、「ミュージック・コンクレートや電子音楽というような前衛的手法」への接触によって手に入れることが出来ると黛は悟ったのである。
 黛には、日本各地の梵鐘の音を音響学的に解析し、そこから得られた音響的特性を実際のオーケストラによって再現した《涅槃交響曲》(一九五八)という作品がある。梵鐘の一音の響き、すなわち日本的な美意識を表出する要素をどのように音楽によって表現するか。黛ら日本の戦後の作曲家たちにとって、西洋音楽の機能和声の構造の上に日本的な節回しを当てはめるといった、和洋折衷の音楽を考えることはなかった。総体としての「日本的な美意識」をもたらす要素(それは、日本的な美意識を表出する響きの感覚であり、あるいは、時間性の認識などであるが)を西洋音楽の語法をもって表現すること、それは、近代以降の西洋音楽の本質を一度拭い去って生まれるヨーロッパの新しい創造を持って故に可能であるという認識の下、自らの作曲の在り様を模索していったのが戦後の日本の作曲家たちであった。
 黛らの場合のように、主体としての「私」が自ら認識する「日本的なもの」という問題と、一方で、西洋音楽をする「私」が認識させられる「日本人としての私」という問題の、これらの互いに影響し合う問題に関して私が考えを巡らせるきっかけとなったのが、毎年、ニューヨークで開かれる「ミュージック・フロム・ジャパン音楽祭」である。
 「ミュージック・フロム・ジャパン音楽祭」は、ニューヨーク・シティ・オペラのコントラバス奏者だった三浦尚之が、個人で始めた「音楽祭」である。「それぞれに個性をもつ日本の現代音楽をより多くのアメリカの聴衆に聴いてもらいたい」と、一九七五年に第一回が開催され、以来継続して三十年余りになる。私が「音楽祭」を最初に聴いたのは、今から十年程前のことで、これまでほぼ毎年「音楽祭」に足を運び、新しい創造に出会い、その創造を生んだ作曲家の発想を知って、それは私にとって大きな刺激なのである。また、文化交流の名目を横に置いて、純粋に作品に興味をもつニューヨーク在住のアメリカの、そして、日本の聴衆が集う会場の雰囲気も私にとって楽しみのひとつである。
 「ニューヨーク」という異国で作品が演奏され、その作品を作曲した日本の作曲家が自作について語る、という環境によってなのであろうか、「西洋音楽」と「日本人である私」という関係性の、本来無意識に過ぎる問題に様々な角度から光を与え、私に考える機会を促してくれたのが「ミュージック・フロム・ジャパン音楽祭」なのである。そして、常々私の脳裏に在るのは、日本の作曲家によって語られる「日本的美意識」であり、それは、ある時は、アメリカの批評家、あるいは聴衆によって語られる「日本的美意識」についてなのでもあるが、作家のカズオ・イシグロが『遠い山なみの光』で描いた遠い過去の長崎の記憶、彼個人の記憶と分ち難く結びつく日本の風景の、それを感受する感性は、既定の概念としての「日本的美意識」の、むしろその実体を不確定なものへと導くのではないか、つまり、「私個人の感性」の集合体としての「日本的美意識」と言うことが出来るのであるなら、「日本的美意識」というものはまず先に存在するのではなく、「日本的美意識」は、その実体を変えていくものとしてあるのではないか、という思いを私は深めている。
 本書は、ひと個人に密着した永続的かつ深遠な主題を論じるようなものでは無論ないが、「ミュージック・フロム・ジャパン音楽祭」がもたらした意義ある時間を記録することによって、その永続的かつ深遠な主題へと向かうための、私なりの道筋を見出す事が出来ればという願いを込めて書かれている。





                                                      

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