詩人の遠征 4  『二十歳のエチュード』の光と影のもとに




詩人の遠征 4
國峰照子 著
『二十歳のエチュード』の光と影のもとに
橋本一明をめぐって

洪水企画発行 草場書房発売
四六変形判 並製小口折 157頁
定価(本体1800円+税)
ISBN978-4-902616-62-0  C0392
【エッセイ】
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1934年生まれ。
詩集に『4×4=16』、『開演前』、『CARS』『ドン・キホーテ異聞』他あり。
所属詩誌は「gui」、「ORANGE」、「ULTRA BARDS」。
日本文藝家協会、及び日本現代詩人会会員。高崎在住。



戦後すぐの時期に『二十歳のエチュード』を書いて自ら命を絶った原口統三、原口の精神のあり方を受け継ぎながら、フランス文学の研究、翻訳、そして映画台本の執筆と幅広く活動した橋本一明の両者の生の軌跡を追うクリティカル・エッセイ。



あとがき より

 一明さんが亡くなったのは一九六九年一月二十九日。その朝は淡雪が降っていた。解剖の結果は手のつけられない状態の肺癌であった。葬儀は日をおいて二月三日、千駄ヶ谷の千日谷会堂で友人葬により執り行われた。葬儀委員長は渡辺一民氏。桐朋学園の講師をしていた関係で、桐朋の連中がモーツァルトのレクイエムを奏で、三百人がお別れの献花をした。弔辞を述べたのは白井健三郎、中村稔、丸谷才一、佐藤謙三、直井欣哉、鈴木信太郎の各氏であった。友人葬という形は四十代の友らにとって初めての経験だったろう。前通夜には、てんてこまいのうちにお棺が二つも届いてしまったという。何か橋本が原口統三とともに葬られた気がしてならない。
 一九八三年九月、九十歳の母は『松が枝』の筆をおく。それからの八年、短歌に親しみながら九十八歳の長寿をまっとうされた。生前、私が一明さんの詩が掲載された「鳩よ!」を届けに橋本家に伺ったとき、ちょうどテレビで中村稔氏の文化選奨受賞のニュースが流れていた。「この人はあの稔さんじゃないかね」と母・松枝さんは、すぐさま二十年も会わずにいた息子の友人をそれとわかって、早速、手作りの山椒のつくだ煮を送ったそうだ。橋本家の女性はたしかに強い。節子先生はよく「どうしてうちは女ばかり長生きするのだろう」と仰っていたのが思い出される。
 一明さんの納骨の日、かつての友人たちは高崎にあつまった。八幡霊園の奥にあるキリスト教の墓地の一画に橋本家の墓はある。一年前に十九歳で夭折した甥の博也君と父の骨がおさまっている墓だ。その日、連れ立って行くと、新しく造成工事をやっていて、墓まで行く道がふさがれて通れない。結局その日の納骨はできないことになってしまったが、姉の節子先生はお礼のことばをこう述べたという。「葬儀のあともこのように皆さん大勢でいらして、一明を惜しんでくださる。どうしてなのかわかりません。」
 集まった一同、しーんとして声がなかったという。
 『純粋精神の系譜』、『アルチュール・ランボー』、遺稿詩集『モーツァルトの葬儀』『ヴエルレーヌ詩集』と、死後に刊行されたものはすべて友人たちの尽力のたまものである。没後何年経っても友人たちのなかに、〈橋本は……〉と出てくるそれは、橋本の道半ばの無念さと、同時代を懸命に生きた皆の青春がそこに凝縮してあったからと思われる。
 先年、何かの会で飯島耕一氏に「一明さんはどういう人でした?」とお聞きしたら、「キザなやつでした」の一言が返ってきた。粟津則雄夫人で、画家の杜子氏は「橋本一明には女性のことでさんざん迷惑かけられました」と。あの時代を過ごした仲間として、仲間だからこそ、お互い面と向って直接には言えない言葉があったのがうかがわれる。橋本は病床で「治ったらぼくは、とびきり優しい人になる」と母・松枝さんに言ったという。
 彼は〈詩人ってのは〉と他人ごとのように言い、自分の詩的原風景に思いをよする時を待たず、旋風のように駈け去った。彼はいま上毛三山を見渡す丘陵に眠っている。その墓は丈低く、「神は愛なり」と刻まれているだけである。戦後の何年かは赤城を訪れた若い人が、「原口統三の話を聞きたい」と橋本家を訪ねて来たというが、今では赤城山と『二十歳のエチュード』を結びつける人はいない。
 人々の記憶は墓と同じように苔にうもれていく。この稿を同人誌「7thCAMP」に書いたのは二十年も前のことだが、新井豊美さんの「ぜひ本にしてくださいよ」という声が私を押してくれた。その豊美さんも今は亡く、ここに引用させて頂いた方々の多くが鬼籍に入られている。
 齢を重ねることは多くの死者を抱えることになる。戦後ということばは消え、橋本らの興奮の時代はいまはない。が、ランボーと原口統三につらなる純粋精神を追い求めて、道半ばで逝った男がいたことを私の青春の記憶として残しておきたいと思った。




                                                      

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